旬の食卓便店長で全国の産地を巡り歩いた産直活性化アドバイザーの栗田岬知
が語る田麦山の森山農場-棚田の魚沼産コシヒカリ物語。
森山農場の森山実さんと知り合ったのはもう20年近くも前のこと。
当時、店長の栗田は食関係のアドバイザーとして全国の産地へ赴き、その地域の特産品の商品開発のアドバイスや地域活性化のためのコンサルタントの仕事をしていました。
森山さんとのご縁は、新潟県小千谷市の地域と都市との地域間交流事業のアドバイザーとして小千谷市を訪れていた時に市議会議員のHさんと知り合い、その時に紹介されたのが森山実氏でした。
森山さんは小千谷市の隣町の川口町の田麦山の農家さんで田圃は棚田。近隣の山に生えるブナ林から流れてくる沢水で魚沼産コシヒカリを栽培していました。
その時以来、約7年間に渡り、春は田植え、秋は稲刈りの農業体験をさせて頂く様になったのですが、この7年間は一生の想い出となりました。
裸足になって水田の中で田植えをしたり、手で稲を刈ったり、いちご狩りをさせてもらったり畑でイモ掘りをしてそれを焚火で焼いて焼き芋を食べる。
宿泊場のふれあいセンターの台所で地元の食材でご飯を作り、夜になると地元のおじいちゃん、おばあちゃんたちがそば打ちを教えてくれるのです。
うどんのように太い蕎麦もあれば糸のように細いものもあり、茹でるのにさぞ苦労したことでしょう。それでも、こういうお蕎麦はお店で食べるよりも美味しく感じました。
毎回、集落の人たちが何十人も集まって東京から来た私たちを歓待してくれたのです。
そして、秋になると森山さんの作ったツヤツヤで甘くて柔らかい魚沼産コシヒカリに舌鼓を打ちながらいただく食事の美味しいこと。
水も空気も野菜も景色もすべてが美しく、そして美味しいのです。
参加者は全員がこの地域と魚沼コシヒカリの大ファンになってしまいました。
東京を出る時は眉間にしわを寄せていた人も、帰る時には満面の笑顔です。
この時、私は気付きました。
感動を与えるということはモノも人も自然も全体の調和が整い、さらに、「良く来てくれたね!」という地元の方の暖かな気持ちがあってこそ、初めて感動を覚えるのだと。
楽しい農業体験も、地元の方の高齢化や諸々の事情があり7年でピリオドを打ちました。
その後、私はコンサルティングの仕事の傍ら、こだわりの食材の流通の仕事をするようになりましたが、真っ先に取引きさせてもらったのが森山さんの魚沼産コシヒカリでした。
都内の某有名百貨店やこだわりのスーパーさんにサンプルを持参して食べてもらい、森山さんたちの住む小千谷や田麦山の素晴らしい自然環境、そして自然との共生の中で作られるお米の素晴らしさを力説しては取引を成功させたものです。
そして、森山さんの魚沼産コシヒカリは、瞬く間にお客様に浸透していき、毎月決まった数量の注文が入りようになりました。ある年などはシーズン終了前の7月でお米が無くなってしまうこともありました。
ある時、新米の時期に百貨店から「新米フェアー」で試食販売をしてもらえないかとの依頼が入り百貨店の中で炊きたての新米をお客様に配っていた時のことです。
「私ね、このお米の大ファンなのよ。毎月必ず2袋は買って帰りますよ。本当に美味しいわね」と言ってくださったのです。
本当にうれしいお言葉でした。
私は、自然環境の素晴らしさ、水は用水路ではなくブナ林から流れる沢水で作ること、ほとんど農薬を使わないこと、粘土質の土は美味しさが違うこと、農家さんが直接精米して産地直送でお送りすることなどをお話すると、とても喜ばれて4袋も買って帰られました。
「いいお話を聞いたからお友達にもプレゼントするわ!」と。
「この感動を沢山の人に知ってもらいたい!」
有名な魚沼産コシヒカリというだけでなく、このお米がどうしてこれほど美味しいのか、感動を覚えるほどの味になるのはどうしてなのかということをもっと多くの方に知ってもらいたいと考えました。
私どもは、
「このお米をもらってよろこばない人はいない!」というくらいの自信をもってお届けします。
店長 クリクリ店長こと栗田岬知

森山農園の田圃は小高い山に囲まれた小さな「棚田」。周りの山はほとんどが森山農園の持ち物で他人が入ってくることもなく、そのために農薬などで汚染された水も空気も一切入りません。
水田は読んで字の如く、田圃に水があって初めて水田と言います。
今はポンプなどがありますからどこでも水田を作ることができますが、一昔前はたとえ田圃に適した土地があったとしても水がなかったら水田を作ることはできませんでした。
旧北魚沼郡一帯は昔から豪雪地帯として知られています。
時には4〜5mも積もる年もあり地元の人たちは雪には泣かされてきました。
しかし、その雪が土の中の微生物相を豊かにします。春になると雪溶け水となって田畑を潤すのです。
さらに、森山農場の棚田の上にはブナ林があり葉っぱが落ちてそれが腐葉土となります。春になると雪解け水は良質な栄養分と微生物を含み沢水となったり、時には土中からの湧水となって田圃へと流れていきます。
平地が水不足で困っていても森山さんの田圃が水不足で困ったことは一度もありません。そして、良質な養分を沢山含む水で作る米は美味しさが違います。
米の採れる田圃には砂地質、赤土質、黒土質、 粘土質がありますが、その中でも一番良質の実が実るのが「粘土質の田圃」と言われています。
白い粘土質で採れる米は「つや」「弾力」「甘味」「香り」など米本来の純粋な美味しさがあります。
冬の間は田圃の上に雪が積り、その中で微生物が休養しながらゆっくりと生きています。
粘土質の土は本来美味しい米を作るために必要な栄養分を豊富に保持していますが、そこに腐葉土を含む雪解け水が注ぎ込まれることでさらに地力のよい土となります。
それともうひとつは陽が昇り始めると、気温の上昇と共に川の水の温度が上がり
「もや」となって地域の田圃全体を覆います。
この朝もやが適度な湿気となりふっくらとして粘りのある美味しい米を作り上げていきます。

農家さんが無農薬で米を作ったとしても、周辺の田圃で農薬散布をされたり、遠くから流れてくる水に農薬などが混ざっていたらせっかくの無農薬栽培でもほとんと意味がなくなってしまいます。
森山農場の田圃は山に囲まれた棚田で、他人の田圃から遠く離れています。
そして、森山農場では田植え後の1回だけ除草剤を撒きますがそれ以外は一切農薬を使いません。
そして、今年は「パタパタ」と言われる昔ながらの草取り機で田圃の土を掻きまわしながら動かしたところ、ほとんど草が生えずに済んだとか。
来年からは無農薬のお米をお届けできるのではないかと期待しています。


孫と一緒にコンバインで稲刈り作業
絵画や彫刻などアーティストの作品と同じように、作物も作り手である農家の作品であると考えています。
生産者が「おいしいものを作ってお客さんに喜んでもらいたい!」という気持ちがあってこそ、本物の美味しいお米が出来上がります。
安全性と美味しさの追求

ほとんど農薬を使わず、沢水と必要な肥料だけで米を作ります。

そして、刈り入れ後の乾燥はハザ掛けしたのとほぼ同じ状態で乾燥させます。
35度前後の温度設定で一昼夜掛けてゆっくりと機械乾燥させるのです。
天候の良い年のハザ掛け米は旨いけれど、最近は天候が不順なので天日干しで旨い米を作るのは難しいとのことです。
森山さんのコメント

乾燥させた米の水分を計測中
「昔はみんなハザ掛けして乾燥させたけれど、今は乾燥機の性能も良くなってきたのでほとんど機械乾燥。それも高温で乾燥させると数時間で乾燥が終わるけれど、そうなると米に水分が残らないので不味い米になるんだね。
うちでは35度以下の自然とほぼ同じくらいの温度で一晩かけてゆっくりと乾燥させるんだ。
手間も電気代も多少余分にかかるけれど、それだけ美味しい米になるからね。
お客さんも喜んでくれるから、それでいいんだよ」
乾燥させた米は玄米にした後、袋詰めで倉庫の中で貯蔵させます。
そして、翌年気温が上がり始める前になると倉庫の中の冷蔵庫で冷蔵保存します。
小まめに米の保管方法を変えることでいつ食べてもおいしい品質の米をお届けできるのです。

田麦山のある旧川口町は2005年の中越地震の震源地でした。
森山さんの家も全壊は免れたものの半壊状態で、棚田も2枚が壊れました。
それまでは他の地域から田麦山を訪れる人は少なかったのですが、この中越地震がきっかけとなり、全国からボランティアの人たちが復興に駆けつけました。
森山農場の田圃のうちの1枚は相当にひどい被害を受けましたが、それらもボランティアの皆さんの応援の下に改修することができたとのこと。
その時以来、田麦山の再活性化を目指す様々な活動が行われるようになりました。

春と秋には地元の人たちと都会の人たちが一緒になった自然塾のイベントが開催されます。
家族連れが沢山参加してバーベキューや餅つき大会、地元の岩名に舌鼓を打つなど楽しい催し物のほか、マラソン大会も行われます。
森本さんは地元の役員の一人として縁の下の力持ち的な活動をされていますが、朗らかで明るくて、ちょっとハニカミながら挨拶される様はほほ笑ましい限りです。
奥様の悦子さんも地元の女性陣と一緒になって皆様のご接待役をこなします。
中越地震の前でもお二人のお人柄は誰からも好かれる朗らかで気配り満点の素晴らしい農家さんでしたが、震災後は地元の復興とそれを手助けしてくれるボランティアの皆さんのために一生懸命になって活動されています。
つい最近も町の中を流れる川に岩名が遡流するための簗場(やなば)の資金獲得のために市に交渉に行くなど農業だけでなくその活躍ぶりは八面六臂です。
震災以前はほとんど地元周辺での活動だったものが、今では全国の人たちと交流するまでになりました。
震災後、数か月置きにボランティアとして訪れる松田さんは、稲刈りのコンバインの横につきっきりで歩き、刈り取った後は倉庫の貯蔵室に米を入れて乾燥させたり、脱穀した後は調整機(良い米と悪い米を選別する機械)の様子を見ながら倉庫の掃除をしたりとず〜っとお手伝いです。
松田さんは森山さん夫妻の人となりがとても気に入られ、震災後7年間もボランティアとして通っています。
震災は多くの被害をもたらしましたが、それがきっかけとなり全国の人たちの暖かな気持ちを感じることができるようになりました。

魚沼産コシヒカリは日本一のお米と言われていますが、その中でも森山さんの棚田米が格別に美味しいのは、自然環境が良いというだけでなく、「安全でおいしい米を食べてもらいたい」と心から願う森山夫妻の手間暇と愛情が大きく反映されているからでしょう。